過去記事1

ここ何日かずっと胸がモヤモヤしていた。正確には地元に戻ってきた時からずっと。意欲がわかないと自分が感じている根本的な原因は何だろうと。最愛の彼を失ったからだろうか(正確には失ってはいないんだけどそれは後述)

私の人生においての最大と言ってもいいライフイベントが押し寄せたからだろうか。彼との日々を思い出すたびに私の人生の喜びはそこにしかないと辛くなったし、彼を通してでしか自分の幸せを想像することもできなかった。

 

しかしいくら傷ついていようと働かざるもの食うべからずなのだ。だから就活しているし、精神的にも経済的にも本当の意味で自分がやり残したことをやるために函館に来たのだと、少し前まではなかば強制的に思おうとしていたのである。

その中で自分の人生において彼を失ったと思うことはどんな意味があるのか、そこから自分はなにを学ぶべきなのかずっとずっと考えていた。自分なりに消化したら今の自分が別のものに変わって何もかも許せると思ったのである。

どうしたら自分を変えられるのかこの苦しみを消化できるのか。

そんなときにとあるブログに出逢う。

 

一瞬で願望がかなって幸せになる方法~100%自分原因説~

 

彼と別れる直前、書店でふと手に取った本がこのブログが書籍化されたものだった。そのときは現実に完全に屈してしまってて藁をもすがる気持ちだった(一瞬で、というところが当時どんなに切羽詰っていたのかがわかる。タイトルだけ見ると怪しさ満点w)改めてブログを読んでいるとなぜ自分が彼を手放すことになったのか、一定の回答が得られた。私は私で彼といない自分を現実化していたのだった。

簡単な内容はこちら。


道端ジェシカさんもやっている「100%自分原因説」って?【引き寄せの法則】 - NAVER まとめ

彼と別れたくないと彼との別ればかり考えていたのだ、ずっと。そうしているうちに彼と自分が別れるような行動を選んでいたのだ。思い返せば思い返すほど、自分の不安が暴れてますます彼を遠ざけていたことがわかった。

よし、わかった。彼をもう一度得るためには彼との素晴らしい未来を考えればいいのだ。その思考が習慣となり行動を生むのだ。その行動が望む未来を引き寄せるのだ。と、そんな感じ。心の底から素晴らしい今を思考していないとうまくいかない(それも今思えば短絡的なのだが)彼でなければならないと執着していると上手くいかない。そんな表面的な文章を鵜呑みにして、それから自分の『本当に』と考えている事と彼に執着する自分を探していくことになる。

 

何もかも許すとは。

話を戻す。執着しているのはわかった(1日のほとんどを彼の事を考えるのにどっぷり浸かっていたからそれは明白だった)それを解きたくて、どうにかしたくてどう執着しているのか探していた。彼について今自分がどう思っているか書き出してみたら、私を振った彼を心の中で許せてなかったということが分かった。別れた直後は茫然自失でそのことすらわからなかった。ただ彼が苦しいのなら別れるしかないそれが私が彼に出来る最後の愛情なのだーなんて思ってた(そう納得しなければ生きていけなかったんだね)そうか私は彼を許したかったのだ、と。彼を憎むのが苦しかったのだと。ああ良かった。執着していた理由が一つ見つかった。

 

それでもうまく進めない理由

彼への執着がなくなれば、今ももっと楽しく感じられるのかもしれない。そう思っても、ずっと胸のあたりのモヤモヤが取れずにいた。急性的なストレスによる適応障害なんだと一時的に自分が分かってホッとしてもまた次の日には元の自分がこんにちは。時間とともによくなっていくもの、そう言い聞かせていたが、就活をすすめてもダラダラしてもどうしていても苦しいのだ。休む自分も『進む自分』もいいと思えなかった。そうなると視点は「なぜ自分は自分が楽しくなる方を選べないのだろう」ということに移っていく。 札幌にいる自分、彼といる自分しか愛せないから?函館で生活する事が自分の人生を後退させるとしかおもえないから?どうしてそう思ってしまうのか?

 

私は本当は何を許したかったのか

一人で夕食を作っているとき。本当にふと「函館に居る自分にも満点をあげたい」と思った。何のきっかけもなくそれはふわっと私の中に落ちてきた。 普段何気なく考えていることが現実を作っていくのだと読んで理解していたから(実感はなかったけれど)その思い付きのようなフレーズを捉えられたのかもしれない。私は私が函館に居る事を良しと思いたかったんだ。わたしは彼に執着していたのではなくて、彼といる自分に執着していたし、同時に彼といない自分をいい加減受け入れたかったのである。許したかったのは彼であり、自分だったのだ。

 

自分=他者であること

自分の思考が現実になるのだから、他者は自分の鏡である。他者や現実から自分の潜在的に考えている事を知りましょうということから始まっていたのにとかく彼のことに関してはなぜかそこから分離していた。私は私を許したかったし、認めたかった。その気持ちを無視しすぎて、自分を蔑ろにしすぎた結果、彼は私から離れていった(彼=私なので、私が私から離れてたから他人もそうなる)自分を大切にできない人は誰も大切にできないとはよく言ったもので、自分を心から愛せない人は相手から愛されることはない。じゃあ、私は今の私を愛することが出来ればいいのだ。私をめいっぱい大好きになれればいいのだ。もう一度彼に愛されるようになるには。

 

本当は幸せになりたくない?

彼に再び愛される自分になろう、もっと魅力的な!そのためにはキラキラお仕事してお金稼いでやり残したことをやろう。やりたいという意思と行動のタイムラグをもっと無くそう!私は一定の進路を見つけた気がして嬉しかった。そうしたら函館ももっと好きになって楽しめるようになるはず!そうしたら自分のこと好きになれるはず!さあ就活就活!

ところがどっこいなぜか不安はぬぐえない、上手くいかないんじゃないかという気持ちを感じては手放す。就活も面接も自分がうまくいくという事を信じられない。新しい応募先に履歴書を出すのも躊躇する。応募すること自体に自分の人生を後退させる要因なんてない、むしろ前に進める行動なのに飛び込めない。

なぜ私は私が幸せになる選択ができないのだろう?本当は幸せになりたくない?

そんなことないよ!幸せになりた…いよ。自信をもって断言できない自分に気づく。いったいどこからわたしはそう思うようになったんだろう。自分の価値を低く見積もって、自分を蔑ろにしてもいいと思ってしまったのはいつから何だろう。彼と別れたから?彼と出会う前に自分を削るような仕事をしていたから?ホストにはまって大金を無駄にしたから?それで人を傷つけたから?一番初めの会社を辞めたから?…どんどん遡る。今のままの自分はダメだと一番はじめに思ったのはどこだ。

 

「ごめんなさいね、この子太ってるからサイズなくて」

小学生の頃、洋服を買う時の試着が一番嫌いだった。店員さんが店の中を探しても私が切られる洋服はサイズがなくてその度に母親は店員さんにそういった。当時の私は誰に対してのフォローなのかもわからずただ自分は醜く太っていて、母親と店員を困らせているのだと恥ずかしかった。そのままの自分ではだめだと自分に植え付けてしまった。今ならわかる。母親はただ空気を和ませたかっただけで、私を駄目だなんてちっとも思っていなかったということ。同棲した男に振られ何もかも投げ出して帰ってきた娘に「また一緒に暮らせて今が一番幸せ」と泣く母親が、太っているというだけで私をかわいいと思っていなかったわけがないのだ。今のままの自分が駄目いう思い込みはそこからきていたし、それもやっぱり自分が生み出したものだった。その思い込みからくる自己評価の低さは、登場人物を変え、状況を変え、形を変えながら何度も降りかかった。

 

愛されたいという事のもっと奥

自己評価の低さは恋愛相手をどんどんどんどん神格化し、いつだって何をされても許す自分を生んだ。自分の時間、機会、人間関係、職場、家族、友人。このすべてより相手の都合や願いを優先した。 それは相手を愛していたわけじゃなく、相手に尽くしたい相手を許したい相手を好きになりたい。それはすべて、本当の目的語は自分だったのだ。誰よりも自分を愛してほしかったのだ。好きな人に。つまり自分自身に。それに自分自身が気付いてほしかったのに私は何年も自分のこと無視し続けた。こんな事態になるまで放置していた。自分が幸せになる選択をしなかった。

 

しびれをきらせた私が誰よりも一緒に居たかった最愛の人と離れるという荒療治にでるまで。

 

自分探しなんて、と昔は鼻で笑っていた。しかし本当に本当に自分の望みがわからず、同じパターンに嵌り続けていた時や、幼い自分に再会できなかった何日か前とは充足感が違うのだ。彼がいなくても不思議なくらい平気なのだ。わたしはどんな私でも私に愛されたかったのだ、よしわかったと自分という一番の味方が戻ってくるだけで。表面的な事態は大きく変わって見えないかもしれないけれど、それも時間の問題だし、どんな自分でもいいよって心から思う。

一匹の蝶が起こした風は私の現実でやがて台風となるのだ。

 

 

これを読んで誰がどう思ってもそれは自由です。

誰がどう思うかを自由にするってことは自分が何を考えてても自由ってことだからね。まだまだ人にああしろこうしろ言いたいマンが顔を出すけど、他人をどうにかしようとしなくても私が自分を心から好きならそれでいいのです。

 

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見つけあてた自分もすでに結構やるじゃんって思っているからねw

ああ函館帰ってきて本当に良かったなあ。